WUDC 感想文 written by Kurita先輩


おはようからおやすみまで。
blog担の一緒に出てくれる友達がいなくて最近大会に出れていない方、小椋です。

今回は3年の栗田先輩からWUDCの感想文をいただきました。
昨年の暮れ、オランダはハーグにて行われた世界大会を終えての感想を綴っていただきました。
栗田さんのディベート観が存分に表れた感想文となっております。


第三夜。ご覧ください。
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どうも、工学部3年の栗田です。
ワールズが終わってからすでに1ヶ月半経ち、今更感が拭えませんが、自分のワールズ感想文を投稿させていただきます。
正直、ワールズでは大した成果をあげられなかったし、結果には大して満足行ってないので、感想文を断ろうかなとも考えていました。でも、成功した人ばかりが取り上げられるのは情報にバイアスが生じることを意味しますし、上手く行ったときに限って感想文を投稿するのは都合が良すぎると思ったのと、「適当に思ったことを書けばいいのでは」というお言葉をいただいたので、適当に自分の考えを書き下そうと思います。
というわけで、ワールズはこうすれば上手くいく、みたいな話を期待していた人には申し訳ないのですが、どちらかというとワールズ特有の話も一応踏まえつつ、もう少し広範な話を書いていこうと思います。

<ワールズに至るまでの経緯>
ワールズに出ることは、僕が3年に上がる前の段階から決まってました。偉大な先輩であり、今まで最も多くの教えをもらったと言っても過言ではない、溝GOD先輩から誘っていただき、自分のディベートの集大成として、ワールズに出ることを決めました。
ワールズに向けて実際どういう練習をしたかとか、そういった具体的な話に興味がある人もいるかもしれませんが、正直やるべき練習方法はチームや個人によって根本的に異なると思いますし、それぞれのコンテキストに依るところがあると思うので、ここで詳しくは述べません。どういう「考え方」を持って練習していたかは、後でもう少し詳しく述べます。

<ワールズ本戦の話>
予選が9ラウンドもあるワールズにおいて、各ラウンドごとの話とか書くのは面倒なので、全体感についてだけ話します。
全体としては、今思い返しても結構クロース(とジャッジには言われた)で悔しかったラウンドが多かったです。あと一歩早く反論が思いついていれば、もっとそこの分析を詳しく説明していればあと1点は取れた、というラウンドが多く、でもそれができないところが自分の実力不足なんだな、と思う次第です。僕が言いたいのは、自分は本当はもっと点数を取れる実力があるんだ、ということではなく、ディベートは多くの場合、そういう小さな差、または小さな差の積み重ねで差がつくということです。具体性、アクターの描写の精度・粒度、wording、そういう細かい基礎的なところで、強いディベーターは自分より一歩先にいました。いくつもの差が結果を決める決め手になって、それが明確な、自分と自分が負けたチームの間の差だったと思っています。
「日本のディベート・ジャッジはガラパゴスだ」という人間はいますが、少なくとも自分が経験した9ラウンドではあまりそうは感じませんでした。9ラウンドは極めて少ないサンプルであり、統計的になんの有意性ありませんが。結局どこの国でも大切な概念は限られていて、本質的にどの国でもディベート自体は大して変わらないのではないか、と自分は思っています。ただ、最近は日本で、安易にアーギュメントを取りすぎる傾向はあって、危険かな、と思うときはあります。

ディベート以外ではとにかくご飯がまずかったです。特に具なしサンドイッチ(哲学)が出てきたときは、割と切実に帰りたいと思いました。ご飯以外は、大会運営も何もかもスムーズでしたし、とても楽しかったです。途中でコミをcelebrate(?)するビデオがあったりして、個人的には日本の大会運営においても参考にできることが多かったと思います。


それはもう切れ込み入りのパンですね。


<大切にしていた理念>
はたから見てどう見えていたかはわかりませんが、正直ワールズに向けてディベートしていた期間(特にABPの周辺から)は、自分が今までディベートをしてきた中で一番苦しい時期でした。勝手にプレッシャーを感じていたというのもありますが、それ以上に明確な進歩、成長を感じるのが難しくなってきたからです。今まで自分はボコされて、反省して、次は勝てるように頑張る、というプロセスの繰り返しの中であまり深く考えずに自分の上達を実感してきたのですが、それが学年が上がるにつれて徐々に通用しなくなってきました。もちろんたとえ上級生になっても負けることはありましたし、その度にとても勉強させてもらいました。ただ、1、2年の時に比べるとそういう機会が減って、モチベーションを保つのが難しかったです。
もう一つ、この時期が辛かった要因としては、純粋なキャパ不足でした。自分は要領が悪いので、ワールズに向けての練習とそれなりに忙しい学科の授業と長期インターンが重なり、いつも結構キャパギリギリの状態で過ごしていました。
そういう状況でしたので、今まで以上に頭を使って練習する必要がありました。その中で、自分が大切にしていた、または大切だと感じた理念を列挙します。

- 目的を持って臨むこと
何についてもそうですが、同じことに取り組んでいても、目的を持っているのと持っていないのとでは得られるものが全く違います。
練習について、これは特に強く当てはまると思います。無目的にラウンドをするよりも、課題意識を持った方が絶対に上達は速くなります。なので、自分は常にラウンドの前に、そのラウンドで達成したいこと、課題意識を明確にした上で練習していました。例えば、自分はBPのwhipでopeningとの差別化を反論以外で行うのが致命的に下手でしたが、openingとの差を明示的に説明することを課題に設定してwhipを練習を続けたことで、よりBPらしいメタディベートができるようになりました(と自分では感じてます)。秋Tの頃からその目標を設定して、冬Tくらいになってやっとその成果がでてきたので、目標設定は、短期的に見れば無意味なことに見えても、長期的な上達には必要不可欠だと僕は考えています。
課題をより明確にするためにラウンドをするという側面もありますが、それは「課題を見つけること」を目的に設定するべきです。
もちろん、ラウンドだけが有効な練習方法ではありません。ただ、ワールズに向けての練習において、自分自身の課題を鑑みたときに、ラウンドが最も有効な練習方法だと考えたため、自分はラウンド中心の練習を行っていました。ラウンドをたくさんこなしたおかげで、エクステンションの作成、共有をかなり早めることができましたし、結果として大きく間違ってはいなかったかな、と思っています。

余談ですが、リサーチについても、得られた知識を構造化して、意味をもたせてインプットしないとその知識は使える知識にはなりません。自分は残念ながら記憶力が乏しいので、リサーチをする上では、なるべく問いや、具体的なmotionを頭の中に入れた上でリサーチしていました。リサーチをする時間が限られていたので、自分はなるべくラウンドと結びつける形でリサーチをするようにしていました(例えば帰りの電車で調べるとか)。あとは、最近気づいたことですが、motionを自分で作成することを念頭にリサーチをすることはかなり効果があります(ワールズ前に気づきたかった)。

- 学ぶ機会を失わないこと
さっきも言いましたが、上級生になると、1、2年のときに比べて勝てるようになるので、負けてその反省を活かして次、という単純な上達の仕方が徐々に通用しなくなってきます。
なので、ジャッジに言われなくても自分のスピーチを振り返って自分で批判することが大切になってくると思います。今まではリフレク頼りに成長してきたのですが、「君はもう受動的にリフレクを求める段階ではない。どうすれば良いかは、自分がどういうディベーターを目指すかに依存することであり、その問いに対する答えを持っているのは自分だけだ。」という趣旨の助言をもらって意識がかなり変わりました。それ以来、自分はどういうディベーター像を目指し、それにどうすれば到達するか、という視点で自分の課題を設定するようになりました。これは決して上級生だけではなく、普遍的に通用する考え方だと思います。
あと、これは今年になり嫌になる程痛感したのが、後輩へのリフレクは大体ブーメランだということです。三人行へばなんたらというやつですね。「具体的に説明しろ」「比較しろ」とか偉そうに言いますが、自分を省みると全然できていないものです。それはある意味当たり前のことで、多くのディベーターが苦手なことは、大体自分も苦手だという単純な気づきです。なので、僕の場合は、可能な限り後輩へしたリフレクは戒めとして自分のノートに書き留めるようにしていました。(一応勘違いされると面倒なので言っておきますが、リフレクすることが悪いといっているわけではなく、リフレクする時に自分を省みようと言っているだけです。まあそのような曲解をする人はいないとは思いますが、念のため)。

- 負けに責任を取ること
これは当たり前のようで、とても難しいことだと思います。負けるときは、いつだって様々な要因が絡んで負けるものです。ディベートは特性上運ももちろん絡んできます。あそこでCOを引いてれば、ジャッジが誰々だったら、など、考えていればきりがありません。そして人間のサガは、なるべく負けを自分のせいにしたくないというものです。自分ももちろんプライドというのがありますので、負けたときは悔しいですし、条件反射的に自分以外のところに負けた要因を探したくなります。そして大抵探せばそのような要因はあります。
でも、負けの責任を、自分が変更できないものに押しつければ、今後もなんども同じような負け方をすることになります。ジャッジやポジションはコントロールできません。自分の現在の実力に対するプライドは上達の邪魔にしかならないのではないかと思うので、僕は自分の学習能力、上達する能力にプライドを持つように意識しています。
別に僕はジャッジに噛みつくことはいいと思っていますし、全てのジャッジに納得しろと言っているわけではありません。別に納得しようと何だろうと、その負けをどう解釈し、どう次に繋げるかは個人の自由で、その自由は次負けることがないように最大限活用するべきということを言っているまでです。
余談ですが、自分の「才能」に責任を押しつけるのも、実は同種の責任転嫁だと自分は思っています。事実であろうと、自分が生まれ持った才能は変わりませんし、そんなこと考えたところで何にもなりません。負けに責任を取るということは、次回負ける確率をなるべく下げることであって、自分を責めることではありません。
僕はいつでも負けは学びの機会として捉えていますし、そうした方が楽しくディベートできると考えています。

- 基礎を大切にすること
ディベーターの多くは簡単なことを難しく語るのが好きですが、僕は難しいことを簡単に語ることがディベートでは大切だと思います。特に、上達して身につけなければいけない能力が高度になればなるほど、その能力を基礎的な力に結びつけて理解することが大切だと思います。例えば、自分がABPのとき、リーダーに対して様々な指摘をされましたが、それらを統合し、俯瞰してみると、結局のところ「APを話せ」ということを繰り返し言われていただけだったように思います。これは結局、何かを説明するとき、必ずその反対面も説明する、そして具体的に説明する、という2つの基礎的な事項に結びつけられると思います。こうすることで、自分の課題の本質が見えてきて、上達が楽になります。事実、ABPが終わってからは、リーダーのセットアップに対する意識が変わり、よりよいリーダースピーチができるようになりました(平均的には)。

まあ、どの理念も無難な綺麗事ですが、当たり前のことが結局は大切で、忘れがちなので。将来の自分に向けての戒めとしてもここに記させていただきます。

<振り返って思うこと>
僕は基本的に先輩から、「自分の力でうまくなった」という印象を持たれているようです。それは、もしかしたらある意味では正しいのかもしれません。自分はそもそもどんなに偉い人が言ったことでも、自分の頭で噛み砕いて、検証して、自分の中に取り込まないと気が済まないタイプなので、そう見える部分が大きかったのだろうな、と思います。
でも自分が今のレベルまで上達できたのは、上手くなるための材料を、リフレクや助言や、自分よりも上手いスピーチという形式で与えてくれた多くの方々がいるからだと思っています。上達するプロセスを楽しめた、というのも大きいです。常に上に強い先輩がいて、本気で倒そうと1年生の頃から思ってディベートをやれてきたことが、自分が上達する上での強い原動力になっていました。そして結局これも環境のおかげ、というとことが大きいと思っています。
その点にはとても感謝していますし、後輩にもそういう良い環境を与えられるように自分も精進し続けなければならないと思うばかりです。

あとは、もちろん自分と組んで下さった溝さんにも感謝してもしきれません。自分は社会不適合者なので、思ったことを結構ズバズバ言ってしまうのですが、自分のいうことにも真摯に耳を傾けて、ある意味同士(?)に近い形で接してくれたことには本当に感謝しています。argumentの好み、ジャッジの仕方など、結構根本的にディベート観が違うにもかかわらず、チームとして機能した(と僕は思っている)のは、ひとえに溝さんの人間性のおかげだと思っています。

それから、様々な方に、色々な形で応援してもらえたのもとても嬉しかったです。特に、「結果とかを求めているのではなく、いいスピーチをして、満足のいく形で終えられることを願ってる」、という趣旨の応援メッセージが一番もらえて嬉しい気持ちになりました。
そういう意味でも、その応援の気持ちに応えれず、ワールズで思うような結果を残せなかったのはとても悔しいです。
と同時に、矛盾するようですが、僕が最終的に言いたい(そして今までも言ってきている)ことは、結果というもの自体は、思っているよりはおそらく重要でないということです。
それなりに辛かったこの半年間のディベート生活で自分を支えてくれたのは、優勝の回数とかベストスピーカーをとった回数とかという客観的な実績よりも、応援のメッセージだったり、自分のスピーチに感動したと言ってくれる人の言葉だったり、自分のスピーチが誰かの頑張る原動力になったりしたことでした。
こんなことをディベート部のブログで書くのもどうかと思いますが、ディベートの結果なんて、長い目で見れば狭いコミュニティーの中だけでの評価ですし、実績ばかりに固執したところで、得られるものは限られています。
だからこそ、もっと大局的な目的を持ち、ディベートに望むことが大切なんだと思います。
そして逆に言えば、ディベーターをディベートの強さだけで格付けする考えは、狭い価値観の中に閉じこもることを意味すると思います。ディベート界には様々な目的でディベートする人がいるべきですし、どんなにディベートが上手な人でも、違う目的意識、考え方を持つ人間から学ぶことはたくさんあるはずです。だからこそ、ディベート界は様々な人間がいられるような場所になることが、綺麗事だけでなく、本質的に重要なんだと思います。
もちろん、目的はきっと一つだけではなく、楽しいから、コミュニティー自体が好きだからとか、様々な目的があるでしょうし、時間とともに変わっていくものだとも思います。
もともと僕は、もっと自分に自信を持ちたいという思いで客観的に結果が出るディベートという競技を始めたのですが、今では自分が手にした実績というよりも、それに向けて歩んできた道のりそれ自体の方が、よっぽど自信になっています。
たから、どんな目的に於いても、学び、上達することが、最終的には重要だと思います。
結果がどうでもいいということではなく、結果を真剣に求めて努力することは学びを得る良い手段だと思っています。僕が今まで得てきたものは、結果にこだわり、ディベートを続けてきた結果得られたものですし。ただ、結果を求めること自体を目的化させず、手段として利用するのが、一番健全なディベートとの向き合い方だと思います。
逆に、目の前の結果を求めることばかりに固執し、学ぶ気持ちを失った瞬間、ディベーターはどんなに若くても老害になってしまうのかな、と思います。学ぶことを目指さないからこそ、負けを認めることができなくなり、基礎の不足を認められなくなり、学ぶ機会を失ってしまうんだと思います。
結局自分が大切にしてきた理念は、学ぶことに向けて最適化した結果得られた当たり前の帰結です。なので、読む人によっては何も得るものがないつまらない文章になってしまったかもしれませんが、読者のうち一人でも何か有益な知見を得られたなら幸いです。以上が自分の感想になります。





本当にお疲れさまでした!‐戦に向かう栗田先輩‐




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【予告】
最終夜となる明日は即刻更新大会報告。
だけど手元には写真が一つもない⁉
これからワタシ、どうしたらいいの~?
次回『ススメ!東京大学ディベート部!』この次もサービスサービス♪。

コメント

匿名 さんのコメント…
泣いた(予告もナイス)